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10年の北海道での山籠りを経て、中央線に舞い戻った男。鹿野おしりの街道爆裂サブカル日記。

サブカル、RSRに行く~音楽よもやま話~

線香花火

 

高校生でスケベパンクキッズだった。

…だったというのは、これは多分に昔の話で俺は今31歳になろうとしている。だからおよそ干支一週分、12~14年前の話になる。当時の2003年から2008年頃の日本はパンクブーム真っ盛りでラジオからひっきりなしに日本語パンクの曲が流れチャートを賑やかしていた。またTATTOが欠席したミュージックステーションはミッシェルガンエレファントがその穴埋めをしたりしていた。そんな時代の話。 

僕は高校生で漫画と映画と音楽にハマっていた。部活のテニス部をしょっちゅうサボってはレンタルビデオ屋に足を運び、マイナーな映画や漫画や音楽を漁っていた。インターネットは世界を覆い尽くしつつあったが、スマホもLINEもなかった伸びやかな時代の、北海道の一地方都市の話である。ヴィレッジヴァンガードがない僕の地元の最大の文化施設TSUTAYAであり、GEOであり、ライブハウスだった。 

その頃聞いていたものを列挙してみよう。当時、DAPUNPやブリリアントグリーンに飽きていた僕のようなスケベサブカルキッズの耳目を集めたのは、ラジオから流れたガガガSPの「卒業」であった。僕にとっての日本語パンクの歴史はこのあたりから始まる。その前にTHE HIGH LOWSの「青春」を聞いたりしていたが、その頃はまだ音楽を深堀りする知識はなかったので単発で終わった。ガガガSP(雨の日曜日、一人ぼっちの世界)の何が凄かったかと言うと、まずはそのダミ声。綺麗な声のアーティストしか知らなかった僕にとっては、ダミ声で叫ぶように歌うガガガSPのコザック前田の姿は神のように映り半ば心酔していた。そして、その後、友達からGOING STEADY銀杏BOYZ/青春時代、あいどんわなだい、BABYBABY)、STANCE PUNK(クソッタレ解放区、すべての若きクソ野郎)、太陽族(誇り、青い空白い雲)、オナニーマシーン(ソーシキ、女友達)、セックスマシーン(頭のよくなるラブソング、死んじゃって頂戴)、BIVACCHE(桜の花が散る前に、はんぶんこ)、THE BLUE HEARTS(ロマンティック、TooMuchPain)、エレファントカシマシ(ハロー人生、友達がいるのさ)、SEX PISTOLES(pretty vacant、Friggin In The Riggin)などを教えてもらった。さらにはSTREET ROCK FILEというパンクロックを紹介する雑誌を教えてもらったことで趣味の幅が広がることになる。

同じ高校では日本語パンクを聞く人間は少数派であった。おそらくはいたのだろうけど、音楽の話をした記憶はあまりない。多分、直球でストレートな歌詞を叫ぶパンクバンドをかっこいいと褒めることは、なんとなく暑苦しくてかっこ悪いという風潮があったのだ。僕の高校ではバンドをやってるやつらはDEEP PURPLEMr.BIGなどの洋楽に心酔していて、まぁ仲良くやっていたが音楽の話はしなかった。他にもカリガリマリスミゼルというビジュアル系にハマっている連中も大きな勢力だったが、こことも話は合わなかった。おおよそ僕が音楽について話するのは他校に進学した友達くらいだった。つまり趣味を介して人とコミュニケーションをとるという経験を、この多感な時期から積んでこなかったわけである。そんな感じで、夜中に窓を開けて夜風を楽しみながらビールを飲み、パンクミュージックを一人で楽しんでいると、大体自家中毒を起こすことになる。僕の中の思考は甲本ヒロトの歌詞に多大なる影響を受けて、甲本ヒロトと同一化した存在として認識していた。気持ちの悪いファンの典型だっただろう。

うちの地元は北海道の東端のライブハウスがあったのでメジャーバンドの全国ツアーの折り返し地点になっていた。その為いくつかのバンドを高校時代に生で見ることができた。あの頃のパンクバンドが地元に来た時の狂騒は凄いものだった。満員電車並みの密着率でモッシュやダイブを繰り広げ、けが人も出ていたほどだ。まだ若かった僕は熱さで失神しそうになりながら腕を振り上げて叫んでいた。ちなみに初めて行った高校時代のガガガSPで、同じクラスの女の子が来ていて、御多分に漏れず、その場で好きになってしまったことは僕と君たちだけの秘密だ☆ちなみにファン同士で交流するという発想にはならなかった。まぁ人見知りだったわけである。

文化祭でバンドをやるといった経験もなく(一応、舞台の監督はした)、僕は関西の大学に進学することになる、胸には夢をメディアプレイヤーにはパンクミュージックを詰め込んでの新たなる旅立ちであった。大学時代の僕が聞いていたのは、高校時代に引き続きパンクミュージックだ。THEピーズ(とどめをハデにくれ、リサイクリン)は「とどめをハデにくれ」を受験旅行の最中に買ったが、当時はいまいちハマれなかった。それよりもずっと聞きやすかったのはニューロティカ(東京花火、嘘になっちまうぜ)だった。サンボマスター(美しい人間の日々、あなたと生きたい)、ピンクリボン軍(阿呆の耽り、ヤニ雲)、鴨川(春風、浴衣モッシュ)、マスラヲコミッショナー(座して喰らえば山も空し、リーチ)、筋肉少女帯(サーチライト、リテイク)、イースタンユース(東京快晴摂氏零度、裸足で行かざるをえない)、ミドリ(ゆきこさん、愛って悲しいね)、ROSSO(シャロン、1000のタンバリン)といったバンドサウンドたちが僕のメディアプレイヤーに加わっていくことになる。大学の音楽漬けの生活の中で楽しかったことと言えば、やはり札幌で開かれる野外ロックフェスRSR(ライジングサンロックフェスティバル)だろう。野外で音楽を楽しみ、酒を飲んだり煙草を吸ったり寝たりできる音楽イベントである。これは僕のようなライトな音楽ファンにはぴったりなイベントだった。知ってるバンドのライブはもちろん楽しく、新しいバンドとの出会いも演出してくれる。外国人も少なく治安もいい。大学時代の計4回ライジングサンにはお邪魔することになった。「なんだよ!モテキフューチャーかよ!くだらねぇ!くたばれ!」と思われた方もいらっしゃるかもしれないが、フェスの最中女性と話をしたのは2言、3言である。フェスには僕は男三人で車で旅行をしながら向かうことにしていた。女と一緒にフェスに来る奴なんてダセェと思っていたが、参加者の中でぶっちぎりにダサいのは俺たちだったことは、自覚している。4度の参加の中で、高校時代の同級生と再会したことは良い思い出になっている。しかしながら、フェスの参加というのもやはり若い頃だから出来る事だと申しますか、最近はめっきり足も遠のき出演者発表もチェックしないでいる。そして社会人になって心を痛めてからは「がんばれ!」と言われるのがしんどくって、長らくパンクミュージックからは離れていた時期がある。

最近、自分で自分の夢を追おうかということを考えていて、改めて聞いたニューロティカの「嘘になっちまうぜ」は僕を改めて迎えてくれた。やはり、ニューロティカはいい。とてもやさしい…。また僕は自分の夢を実直な姿勢で追うことはできるのだろうか、大学に進学したころのように素直な実直な姿勢で…。そんなことをRSRに銀杏BOYZが出演するというニュースを見ながらツラツラと考えた。オチはないし、慈悲もない。以上。

 

 

 


【MV】バックドロップシンデレラ『フェスだして』


筋肉少女帯『アウェー イン ザ ライフ』

 

追記:動画・楽曲を追加(2017年5月3日)