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10年の北海道での山籠りを経て、中央線に舞い戻った男。鹿野おしりの街道爆裂サブカル日記。

「田舎の男の人は酒、タバコ、女、ギャンブルの話ばかりで合う人がいない問題」について

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今日はこの問題について論じたいと思う。一応、一時期東京にいて地元に帰ってきて5年経つの男の話である。

文章内では酒、煙草、女、ギャンブルが低次な趣味として扱われていて、ブコメでもそれらについては批判的な論調であったが、私はそんなに悪いもんでもないよと言うことがいいたい。これらの飲む打つ買う行為は確かに即物的な快楽である。消費してしまえば跡形もなく消えてしまい、一瞬の快楽の後に水泡に帰す、そうした種類の行為である。しかしながら、そうした行為を馬鹿にするものではない。人の消費活動においては、これほど所持品を圧迫しないで消費のしやすいものはないからだ。この手の消費行動が日本の経済を支えていると言っても過言ではないだろう。このあたり、物を持たないことを是とする高名なミニマムリストであらせられる筆者様に置かれましては、所持品を増やさずに得られる快楽についてはどう考えているのか、ちょっと聞いてみたいところではある。

話を元に戻そう。田舎は即物的な快楽を得る人間ばかりで、大変につまらないギ!というのが先のブログの論旨だったように思う。そうだよね?そうなんじゃなかったっけ?で、だ。なぜ田舎の大人はそうした行為に没頭してしまうかと言えば理由こうだ。

田舎の人は快楽を得る行為、趣味としての行為を他に知らないからだ。筆者様に置かれましては、読書や旅といった類の高尚な趣味をお持ちな様なので、気づかれないかもしれないが、そうした趣味を楽しむのには技術がいる。どういう技術か?それは新しい本を探すために作者で探したり、ジャンルで本を探したり、同年代の作家で絞り込んだりという情報処理系の技術だ。あと旅の目的地を決めるというのにもインターネットやガイド本などで探されているはずである。おそらく、筆者様は高名な大学をご卒業されたUターン組であらせられると感じた。なので大学在学中にそうした技術を無意識に学んだのだろうと思われる。しかしながら、地方に帰ってきて周りを見渡せば、そこにいるのは高卒や専門学校卒業の人間ばかりだったのではないだろうか?そうした人たちは人生においてそうした技術を身に付ける機会がなかったのだろうと思われる。要するに趣味の面白さを知らないのである。かといって、物を作り上げるという趣味には大変な技術が必要である。その技術の習得するのを30歳の時に思い立っても、なかなか続いていかないということもある。

この問題への解法は二つ。一つはUターン組はUターン組らしく同じUターン組同士でつるむこと、もう一つは周りにいる人間を啓蒙して自分と同じレベルまで引き上げること、である。話を聞いてると、その辺にいる大人とつるんでいるから話が合わないのであって、筆者は自分から話の合うグループに擦り寄っていっていないのではないのではないかと感じた。読書が好きなグループか、Uターンで外の世界を知っている人間ならば、ミニマムリストの話なり読書の話なり旅の話ができるのではないかと思う。ミニマムリストの話なんてネットでしかできないと思うけど・・・。まぁ、Uターン組ならば面白がって聞いてくれるかもしれない。あとは他者を啓蒙すること。即物的な快楽に酔いしれている周りの人間に対して、コンビニエントにその人が面白いと思うであろう本をお勧めしてやり、福沢諭吉ヨロシク!周りを啓蒙していけば読書の話もできるようになるのではないだろうか?原始的な快楽に身を委ねる田舎の猿共を教化してやるのだ。まぁ東京帰りで高名なミニマムリストであらせられる筆者様におかれましては、土人を啓蒙することなどお茶の子さいさい賽の河原石を積むで可能なことだろうと思われます、こちらとしては。

ここからは少し自分の話。私はサブでカルなアル中モク厨なわけだから、別に即物的な快楽の話が出来なくて困るというようなことは無いけれど、サブカルの話についてはあまりできなくて悲しい思いをしている。大きな書店があるのでネタの確保には事欠かないが、話し合う相手がいないのである。私は小学校時代の同級生と仲が良い。私の小学校は古い家が多くお金持ちが多い学校だった。なので自然と文化的資本の高い地域だった。漫画、アニメ、音楽について素養が高い子供が多く、小学生の頃は楽しく過ごさせてもらった。そういう子供たちが大人になったわけだが、私のソリッドなサブカル趣味についてこれる人間はやはりいなかった。周りにはパチンコやソシャゲやレディースクラブの話題が溢れ、映画やマニアックな漫画、フェスの話題をできる人間がいないことが寂しいと思った。悲しいお・・・悲しいお・・・話す相手がいないお・・・。そうだ!そういう話題ははてなでやるお!と思い勢いブログを立ち上げたのである。<完>

<完>ではない、まだちょっとだけ続くんじゃ。人と会話しないで自分のうちに秘めたる思いを書きつける、という行為を通して私のブログではなかなか濃い記事が書けているんではないかという自負がある。なので会話ができないという状態を嘆くだけではなくて、思いのこういう昇華の仕方もあるよという例である。あとUターン組に関しては、まちづくり関係のワークショップに出た時に、これは参加者が殆どUターン組で占められていた、アイディアを出し合うというワールドカフェをやってべらぼうに面白かったことに起因している。その後の飲み会でも楽しい話ができたので、やはり人間は学歴や職業が同じような階層の人とつるむのが一番楽しいんじゃないかと言う知見を得たことがきっかけである。

まぁ筆者様に置かれましては、自分から何も動かなければ不満が解消されることもなく、鬱々とした気持ちで地方中小都市に移動するいわゆるUターン失敗に陥ることになる危険を秘めているのではないかと思いました(適当)。以上