卑しくもサブカルという名の狗

サブカルバカのサブカル漫画ブログ。

30歳 転がる石のように生きること

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熊代亭さんの記事を読んだ。なかなか面白い文章だったので、俺も尻馬に乗って何か語ってみよう。

30歳で自殺したかったし、童貞のまま死にたかった。バージンスーサイドである。これは僕が中学生や高校生の頃に感じていたことだ。その頃の僕は賢しい方だったので社会問題に頭を悩ませ、大学生活に絶望し、社会にも人生にも絶望していた。耳にはパンクミュージック。30手前くらいの人たちが人生や愛や恋について煽っている。こんな音楽を聴きながらビールと煙草をやり、真夏の漆黒の夜空でも長めながら、人生の事を考えていると空虚に囚われて涙を流すことになる。その頃は人生は一度きりだし、18歳も一度だけだから頑張ろうと、苦手な体育の授業や学園祭や体育祭に精を出したので、まぁいい事だったんだろう。しかし、僕の目に見えているのは卒業までの一年間でありその先にどんな人生が広がっているのかはわからなかった。

大学を卒業して新入社員で入った会社を辞めて東京で一人暮らしをしていた。年齢にして25歳。東京でフリーターをしながら、何か自分には可能性があるんじゃないか?新卒で出版は落ちてしまったけれど、自分には書く才能があるんじゃないだろうか?MIXIの人気も上々だし、twitterでフォローしてる人が俺の投稿を見ている気がする、長い物語を書くのは得意だし、企画も思いつく。俺は東京でこの夢を追っていつかかなえて見せる。今は貧乏な暮らしだけれど、いつか、いつかきっと必ず。そう考えていた。30歳の自分は芥川賞の席にいるかもしれない、そういう妄想を描いていた。人生には一度だけ神様がこちらに微笑んでくれる時がある。それが25歳くらいの時だ。僕はこの時神の御尊顔を見たのかもしれない。いわゆるこれが20代の万能感の象徴だったのかもしれない。上り坂の万能感。どんどん自分のできることが増えていき、周りの人間よりは収入は少ないかもしれないが可能性が、自分には可能性がある。そう錯覚するのが25歳くらいなんじゃないだろうか。

僕はそこから転げ落ちた。病気になり妄想と不眠に悩まされて、発狂した。そこから地元から両親が迎えに来て地元に帰った。地元に帰ってもよくはならなかった。両親と喧嘩して札幌まで飛び出したこともあった。喧嘩が傷害事件に発展して一度目の措置入院になった。2か月間の措置入院の後、生活保護をもらったら人生の終わりだと思って募集した会社に転がり込んだ。ブラックだった。ノルマで精神がやられ、両親を傷害を負わせて逃げた。逃げた先まで追ってきた警察に捕まって留置所に1か月泊まった。精神鑑定の結果だったの両親が起訴を取り下げたのかはわからなかったが不起訴だった。豚箱の代わりに精神病院に3か月間入れられることになった。きつかった。精神病院を出て生活保護をもらいながら一人暮らしをすることになった。気がおかしくなるくらい毎日金の事を考えていた。ケースワーカーに追い立てられる形でアルバイトを始めた。ファーストフードのアルバイトでパニックになり辞めた。深夜のホテルのバイトを始めた。そこでは日に日に自分の入る日数が増えていきイライラが募った。いくらバイトしても生活保護以上のアルバイト代金は自分には入ってこない。イライラは酒で解消した。もっと金が欲しい。金が欲しいと思って必死に就職活動した30社ほど受けてやっと一社受かった。またもやブラックだった。倫理観の破たんしたやつらと一緒に1年間働いた。あーこの会社もう先がねーなと思って就職活動した。都会の会社が一社拾ってくれた。今度からはそこで働く。

30歳から老化という下り坂が待っているという話だったはずだけど。僕の場合は20代後半からの下り坂を、坂を転がる石のように生きてきた。東京にいた頃、いい服を着てドクターマーチンを履いて、精神障害のある人を笑っていた僕だ。

どんな気持ちだ?

どういう気持ちだい?

一人で

家に帰る道も無くて

転がる石のように誰にも知られずに生きていくのは?

僕の中のボブディランが語り掛ける。

 

 

・・・まぁ、波乱万丈銀河万丈って感じでいいんじゃないかな?仕事はやめてきたけど、チャールズブコウスキーにはまだまだかなわないしなぁ!ガハハ!30歳で死ぬだぁ?馬鹿なこと言うんじゃねぇよ!俺はまだまだ生きてやる!殺されたって死ぬような魂じゃねーんだよ!俺はこれからも豪快に金と人生を消費して図太く生きていくんだ!

あの頃の俺に一言。おいお前!おっさんになるのは楽しーぞ!あんまナイーブに考え過ぎんなよ!

といった感じ。特にオチはない。人生の下り坂とライクアローリングストーンをひっかけてなんか書きたかっただけです。

 


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